歌舞伎町の風俗情報
貨幣は、外国から取得される貨物であり
あらゆる文明諸国間の交換の一般的媒介物であり、更に商業と機械とのあらゆる進歩と共に、また増加しつつある人口に対して食物及び必要品を獲得することがますます困難となるごとに、これらの諸国の間に分配される割合が絶えず変ることからして、不断の変化を蒙るのである。交換価値及び価格を左右する諸原理を述べるに当り、吾々は貨物自身に属する変動と、それによって価値が測られまたは価格が表現される所の媒介物の変動によって齎される変動とを、注意して区別しなければならぬ。
(二三)貨幣の価値の変動による労賃の騰貴は、価格の上に一般的影響を生み出し、かつその理由によって、利潤の上には何らの真実の影響をも生み出さない。これに反し、労働者の報酬がより豊かになったとか、または労賃がそれに費される必要品の獲得が困難になったとかによる所の、労賃の騰貴は、若干の場合を除けば、価格を騰貴せしめるという結果は生じないが、利潤を低めるという大きな結果を有っている。一方の場合には、その国の年々の労働のより多くの部分が労働者の支持に向けられるのではないが、他方の場合にはより多くの部分がそれに向けられるのである。
吾々が地代、利潤、及び労賃の騰落について判断するのは、ある特定農場の土地の全生産物の、地主、資本家、及び労働者の三階級への分割によるべきであって、明かに可変的な媒介物で測られた生産物の価値によるべきではない。
吾々が正確に利潤、地代、及び労賃の率について判断し得るのは、各階級の獲得する生産物の絶対的分量によるのではなく、その生産物を獲得するに必要な労働量によるのである。機械や農業における諸改良によって全生産物は倍加されるかもしれないが、しかしもし労賃、地代、及び利潤もまた倍加されるならば、これらの三つは相互に以前と同一の比例を保ち、そのいずれも相対的に変化したとは言い得ないであろう。しかしもし労賃がこの増加の全部に与らず、それが倍加されずして単に半分増加されるに過ぎず、地代は倍加されずして単に四分の三増加されるに過ぎず、そして残りの増加が利潤に帰属したとすれば、思うに、地代と労賃とは下落したが利潤は騰貴したと言うのは私にとって正しいであろう。けだし、もし吾々が、それによってこの生産物の価値を測る所の不変的標準を有つとするならば、吾々は以前に与えられていたよりもより少い価値が労働者と地主との階級に帰属しより多くの価値が資本家階級に帰属したことを見出すべきであろうからである。例えば吾々は、貨物の絶対量は倍加したにもかかわらず、それが正確に以前と同一量の労働の生産物であることを見出すであろう。生産された百宛(オンス)の帽子、上衣、及び百クヲタアの穀物のうち、
コメント(0)| Track back(0) | 2005-10-31 15:47:10
(註)マルサス氏はこの学説について次の如く述べている
、『実際吾々は勝手に、一貨物に用いられた労働をその真実価値と呼ぶことが出来る。しかしかくすることによって、吾々は、この言葉を、それが慣習的に用いられると異った意味に用いていることになる。吾々は、直ちに費用と価値という極めて重要な区別を混同することになり、そして実際上この区別に依存する所の富の生産に対する主たる刺戟を明かに説明することを、ほとんど不可能ならしめている。』(『経済学の諸原理』、一八二〇年、第二章第二節、六一頁――編者註)
マルサス氏は、一物の費用と価値とは同一でなければならぬというのが、私の学説の一部であると考えているように思われる――もしも彼が費用というのが、利潤を含む『生産費』の意味であるならば、その通りである。しかし右の章句においては、これは彼れの意味しない所であり、従って彼は明かには私を理解していないのである。
第七節 それによって価格が常に表現される媒介物たる貨幣の価値における変動による、または貨幣が購買する貨物の価値における変動による、種々なる結果。
(二二)既に述べた如くに、他の物の価値の相対的変化の原因をより明かに指摘せんがために、私は、貨幣は価値において不変であると考える場合があろうけれども、財貨の価格が、私の既に言及した原因、すなわちそれを生産するに必要な労働の分量の異るによって変動することに伴う結果と、それが貨幣そのものの価値の変動によって変動することに伴う結果との相違を、注意することは有用であろう。
貨幣は、一つの可変的貨物であるから、貨幣労賃の騰貴はしばしば、貨幣価値の下落によって惹起されるであろう。この原因による労賃の騰貴は普(あまね)く、貨幣の貨物の価格の騰貴を伴うであろう、しかしかかる場合には、労働とすべての貨物とが相互の関係において変動しておらず、かつ変動が貨幣に限られていたことが、見出されるであろう。
コメント(0)| Track back(0) | 2005-10-30 15:46:51
しからば、本研究の目的を容易ならしめんがために
金で作られた貨幣は他の物の変動の大部分を同じく蒙ることは十分に認めはするけれども、――私は、それは不変であり、従って価格のすべての変動は、それにつき私が論じている貨物の価値のある変動によって惹起されたものと、仮定するであろう。
この問題を終る前に、アダム・スミス及び彼を祖述せるすべての学者は、私の知る所では一人の例外もなく、労働の価格の騰貴は一様にあらゆる貨物の価格の騰貴を随伴するであろうと主張したことを、述べるのが正当であろう。私は、かかる意見には何らの根拠もなく、労賃が騰貴する時には、単にそれによって価格が測られる媒介物よりも少い固定資本をその生産に用いた貨物のみが騰貴し、またそれ以上の固定資本を用いたものはすべて確実に価格が下落するであろう、ということを、示すに成功したと考える。これに反し、もし労賃が下落すれば、単にそれによって価格が測られる媒介物よりも少い比例の固定資本をその生産に用いた貨物のみは下落し、それ以上の固定資本を用いたものはすべて確実に価格が騰貴するであろう。
私にとってまた、一貨物はそれに一、〇〇〇磅(ポンド)に値するであろうだけの労働が投ぜられ、そして他の貨物はそれに二、〇〇〇磅(ポンド)に値するであろうだけの労働が投ぜられているという故をもって、従って一方は一、〇〇〇磅(ポンド)の価値を有ち、他方は二、〇〇〇磅(ポンド)の価値を有つであろう、と私は言ったのではなく、それらの価値は、相互に一に対する二であり、そしてかかる比例でそれは交換されるであろう、と言ったのであることも、注意しておく必要がある。これらの貨物の一方が一、一〇〇磅(ポンド)に売れ、そして他方が二、二〇〇磅(ポンド)に売れようと、または一方が一、五〇〇磅(ポンド)に売れ、そして他方が三、〇〇〇磅(ポンド)に売れようと、それはこの学説の真理に対しては少しも重要ではない。この問題は今これを研究しない。私は単に、それらの相対価値は、その生産に投ぜられた労働の相対的分量によって支配されるであろうということを、注意するだけである(註)。
コメント(0)| Track back(0) | 2005-10-29 15:46:37
もし吾々がこの変動原因が
除去されそして同一の分量の金を獲得するに同一の分量の労働が常に必要とせられるとしても、しかもなお金は、それによって吾々が正確にあらゆる他の物の変動を確め得る完全な価値の尺度では、あり得ないであろう。けだしそれはあらゆる他の物と正確に同一の固定資本及び流動資本の組合せをもってしても、または同一の耐久力を有つ固定資本をもってしても、生産されないであろうし、またそれが市場に齎され得るまでに、正確に同一の時間を必要としないであろうからである。それは、それ自身と正確に同一の事情の下で生産されるすべての物に対しては完全な価値尺度であろうが、しかしその他の物に対してはそうではない。例えばもし、吾々が毛織布及び綿製品を生産するに必要であると仮定したと同一の事情の下でそれが生産せられるならば、それはこれらの物に対しては完全な価値尺度であろうが、しかしより少いかより多いかの比例の固定資本をもって生産された穀物や石炭やその他の貨物に対してはそうではない、けだし吾々が示した如くに、永久的利潤率のあらゆる変動は、その生産に用いられる労働の分量の変動とは無関係に、あらゆるこれらの財貨の相対価値に、幾らかの影響を及ぼすであろうからである。もし金が穀物と同一の事情の下で生産されるとしても、その事情は決して変化しなくとも、それは、同一の理由によって、あらゆる時において毛織布及び綿製品の価値の完全な尺度ではないであろう。しからば、金にしても他のいかなる貨物にしても、あらゆる物に対する完全な価値尺度では決してあり得ない、しかし私は既に、利潤の変動による物の相対価格への影響は比較的軽微であり、最も重要な影響は生産に必要とされた労働の分量の変動によって生み出されることを、述べた。従ってもし吾々が、この重要な変動原因が金の生産から除去されたと仮定するならば、吾々はおそらく、理論上考え得る価値の標準尺度に最も近いものを所有することになろう。金は、大部分の貨物の生産に用いられる平均的分量に最も近接せる如き二種の資本の比例をもって生産された所の貨物と、考えられ得ないであろうか? これらの比例は、一はほとんど固定資本が用いられず、他はほとんど労働の用いられないという、二つの極端からほぼ等しい距離にあって、これらのものの正しい中項をなしてはいないであろうか?
しからばもし私自身が、不変的標準にかくも近い一標準を有つとするならば、その利益は、それで価格及び価値が測定される所の媒介物の価値におけるあり得べき変動を考えてあらゆる場合に当惑することなしに、他の物の変動について語り得るであろう、という点である。
コメント(0)| Track back(0) | 2005-10-28 15:46:20
第六節 価値の不変的尺度について
二一)貨物が相対価値において変動した時には、そのいずれが真実価値において下落しまたいずれが騰貴したのかを確かめる手段を有つことが、望ましいであろう。そしてこのことは、それを順次に、それ自身他の貨物が蒙る変動を全く蒙らざるべきある不変的の価値の標準尺度に比較することによってのみなされ得るものである。かかる尺度を有つことは不可能であるが、それはけだし、それ自身、その価値を確かめようとする物と同一の変化を蒙らない貨物は、ないからである、換言すれば、その生産に要する労働の増減しないものはないからである。しかしこの媒介物の価値の変動の原因が除去されたとしても、――例えば吾々の貨幣の生産において、同一量の労働があらゆる時に必要とせらるべきであるということが、可能であるとしても、それはなお価値の完全な標準または不変的尺度ではないであろう、けだし私が既に説明せんと努めた如くに、貨幣を生産するに必要であろう所の固定資本と、その価値の変動を吾々が確かめようとする貨物を生産するに必要な固定資本との比例が異るがために、貨幣は労賃の騰落による相対的変動を蒙るであろうからである。それはまたその生産に用いられる固定資本と、それと比較さるべき貨物の生産に用いられる固定資本との耐久力の程度が異るがために、――すなわち一方を市場に齎すに必要な時間がその変動を決定しようとする他の貨物を市場に齎すに必要な時間よりも、より長くまたはより短いがために、労賃の騰落という同一の原因によって変動を蒙るであろう。あらゆるかかる事情は、考え得られるいかなる貨物をも、完全に正確な価値の尺度たるの資格を喪失せしめるのである。
例えばもし吾々が金を一標準と定めるとしても、それがあらゆる他の貨物と同一の事情の下で獲得され、従ってそれを生産するに労働と固定資本とを必要とする所の、一貨物たるに過ぎないことは、明かである。あらゆる他の貨物と同様に、労働の節約における改良はその生産に適用され、従って、その生産がいっそう増せるがためのみによって、それは他の物に対する相対価値において下落するであろう。
コメント(0)| Track back(0) | 2005-10-27 15:46:02
(二〇)しからば、次の如くわかるであろう、
すなわち、未だ多くの機械や耐久的資本が用いられない社会の初期においては、等しい資本によって生産される貨物はほとんど等しい価値を有ち、そしてその生産に必要とされる労働の増減によってのみ、貨物は相互に相対的に騰落するであろう。しかしこれらの高価なかつ耐久的な器具が導入されて後は、等しい資本の使用によって生産された貨物は極めて不等な価値を有つであろう。そしてその生産に必要な労働の増減に従って、それらはなお相互に騰落を蒙るであろうけれども、それらは労賃及び利潤の騰落によってもまた、一つの他の変動――小さな変動ではあるが、――を蒙るであろう。五、〇〇〇磅(ポンド)に売れる財貨が、一〇、〇〇〇磅(ポンド)に売れる他の財貨が生産される所の資本と同一量の資本の、生産物であることもあろうから、その製造に対する利潤は同一であろう。しかしもし利潤率の騰落と共に財貨の価格が変動しなかったならば、それらの利潤は不等であろう。
次のこともまた明かであろう、すなわちある種の生産に用いられる資本の耐久力に比例して、その生産にかかる耐久的資本が用いられる貨物の相対価格は労賃と反比例して変動するであろう。労賃の騰貴する時にはそれは下落し、そして労賃の下落する時には騰貴するであろう。これに反し価格を測る媒介物よりも少い固定資本をもって、またはそれよりも耐久力の少い固定資本をもって、主として労働により生産されるものは、労賃の騰貴する時には騰貴し、そして労賃の下落する時に下落するであろう。
コメント(0)| Track back(0) | 2005-10-26 15:45:45
労賃の騰貴は彼らすべてに影響を及ぼすのである
従ってもし機械の製造者が労賃の騰貴せる結果機械の価格を引上げるならば、異常な分量の資本がかかる機械の製造に用いられることとなり、ついにその価格は単に普通の利潤率を与えるに過ぎなくなるであろう(註)。かくて吾々は、労賃の騰貴せる結果、機械は価格において騰貴しないであろうということを、知るのである。
(註)吾々はここになぜ旧国は機械の使用を常に余儀なくされ、かつ新国は労働の使用を余儀なくされているかの理由を、知るのである。人間の生活資料を供給することが困難になるごとに労働は必然的に騰貴し、そして、労働の価格が騰貴するごとに機械の使用への新しい誘因が与えられる。人間の生活資料を供給することのこの困難は旧国においては常に作用しているが、新国においては、労賃が少しも騰貴せずに人口の極めて大なる増加が起り得よう。七百万、八百万、及び九百万の人間に食物を供給することは、二百万、三百万、及び四百万に食物を供給するのと同様に容易であろう。
しかしながら労賃の一般的騰貴の際に、彼れの貨物の生産費を増加せざるべき機械に頼り得る製造業者は、もし彼れが引続きその財貨に対して同一の価格を要求することが出来るならば、特殊の利益を享受するであろう。しかし吾々の既にみた如くに、彼はその貨物の価格を低下するを余儀なくされるであろう、しからざれば資本が彼れの事業に流入して来、ついに彼れの利潤は一般水準にまで下落するであろう。しからばかくの如くして公衆は機械によって利益を受けるのである、けだしこの沈黙せる作業者は、それが代位する労働と同一の貨幣価値を有っている時ですら、常にそれよりも遥かにより少い労働の生産物である。機械のはたらきによって、労賃を騰貴せしめる食料品の価格の騰貴は、より少数の人々にしか影響を及ぼさないであろう。それは、上例におけるが如く、百名ではなく八十五名に及び、そしてその結果たる節約は製造貨物の価格低減となって現われる。彼らによって製造された機械も貨物も真実価値において騰貴することはないが、しかし機械によって製造されるあらゆる貨物は下落し、そして機械の耐久力に比例して下落するのである。
コメント(0)| Track back(0) | 2005-10-25 15:45:29
私は既に、固定資本は種々なる程度の耐久力を有つことを述べた、――
今、ある特定の事業において用いられ得る一台の機械は一年間に百名の人間の仕事をなし、かつ一年間だけ持続するものと仮定せよ。また機械は、五、〇〇〇磅(ポンド)に値し、かつ年々百名の人間に支払われる労賃は五、〇〇〇磅(ポンド)であると仮定すれば、製造業者にとってはこの機械を買うか人間を雇い入れるかは無関心事であろうことは、明かである。しかし労働が騰貴し従って一年間百人の労賃が五、五〇〇磅(ポンド)に上ると仮定すれば、製造業者は今や躊躇しないであろうことは明かである。機械を買いそして彼れの仕事を五、〇〇〇磅(ポンド)で済ませるのが彼れの利益であろう。しかし、労働が騰貴せる結果、機械は価格において騰貴し、すなわちそれもまた五、五〇〇磅(ポンド)に値しないであろうか? それは、もしいかなる資本もその製造に使用されず、そしてその製造者に支払われるべきいかなる利潤も無いならば、価格において騰貴するであろう。例えばもしこの機械が、各々五〇磅(ポンド)の労賃で一年間その製造に働く所の百名の人間の労働の生産物であり、従ってその価格は五、〇〇〇磅(ポンド)であると仮定すれば、それらの労賃が五五磅(ポンド)に騰貴するならば、その価格は五、五〇〇磅(ポンド)になるであろうが、しかしこれはあり得ないことである。用いられるのは百名以下の人間である、しからざれば、五、〇〇〇磅(ポンド)の中から人間を雇傭した資本の利潤が支払われなければならぬから、それは五、〇〇〇磅(ポンド)で売れないはずである。そこで単に八十五名の人間が各々五〇磅(ポンド)すなわち一年につき、四、二五〇磅(ポンド)の費用で雇われ、そしてこの機械を売ったためにこれらの人々に前払された労賃以上に生ずる七五〇磅(ポンド)が、機械製造者の資本の利潤を構成していると仮定せよ。労賃が一〇%騰貴した時には、彼は四二五磅(ポンド)の附加的資本を用いるを余儀なくされ、従って彼は四、二五〇磅(ポンド)ではなく四、六七五磅(ポンド)を用いるであろう。この資本に対して彼は、もし引続き彼れの機械を五、〇〇〇磅(ポンド)で売るならば、単に三二五磅(ポンド)の利潤を得るに過ぎないであろう。しかしこれがまさに、すべての製造業者及び資本家にとって事実である。
コメント(0)| Track back(0) | 2005-10-24 15:45:06
第五節 価値は労賃の騰落と共に変動しないという原理は
資本の不等な耐久力、及び資本がその使用者に囘収される速度の不等なこと、によってもまた修正される。
(一九)前節において吾々は、二つの異れる職業における二つの相等しい資本について、固定資本及び流動資本の比例を不等なものと仮定したが、今度はそれらは同一の比例にあるが耐久力が不等である、と仮定しよう。固定資本の耐久力がより小となるに比例して、それは流動資本の性質に接近する。製造業者の資本を維持するためには、それはより短時間に消費され、かつその価値は再生産されるであろう。吾々はいま、一製造業において固定資本が重きをなすに比例して、労賃が騰貴する時には、その製造業において生産される貨物の価値は、流動資本が重きをなす製造業において生産される貨物の価値よりも、相対的により低い、ということを見た。固定資本の耐久力がより小となり、流動資本の性質に接近するに比例して、同一の結果が同一の原因によって生み出されるであろう。
もし固定資本が耐久的性質のものでないならば、それをその本来の能率状態を維持するためには、年々多量の労働を必要とするであろう、しかしそのために投ぜられた労働は、かかる労働に比例して一つの価値を有たねばならぬ製造物に真に費されたものと考え得るであろう。もし私が二〇、〇〇〇磅(ポンド)に値する一台の機械を有ち、それは極めてわずかの労働で貨物の生産をなし得るとし、かつもしかかる機械の損耗磨滅は僅少量であり、一般的利潤率は一〇%であるとするならば、私はその機械を使用したという理由で、遥かに二、〇〇〇磅(ポンド)以上の財貨の価格に附加されるべきことを、要求しないであろう。しかしもし機械の損耗磨滅が大きく、それを有効の状態に保っておくに必要な労働の分量が年々に五十名の労働に当るとすれば、私は、他の財貨の生産に五十名を使用し、かつ機械を全然使用しない所の、他の製造業者によって得られると等しい附加的価格を、私の財貨に対して要求するであろう。
しかし労働の労賃の騰貴は、急速に消費される機械によって生産される貨物と、遅々として消費される機械によって生産される貨物とに、等しくは影響を及ぼさないであろう。一方の生産においては、生産された貨物に多量の労働が引続き移転されるであろう。――他方においては、極めてわずかがかく移転されるに過ぎないであろう。労賃のあらゆる騰貴、または同じことであるが、利潤のあらゆる下落は、耐久的性質を有つ資本をもって生産された貨物の相対価値を下落せしめ、そして消耗的な資本をもって生産された貨物の相対価値を比例的に高めるであろう。
コメント(0)| Track back(0) | 2005-10-23 15:44:38
この場合は前の場合と異るようであるが、
実際は同一である。双方の場合において、一方の貨物の価格がより高いのは、それが市場に齎され得るまでに経過しなければならない時がより長いのによる。前の場合においては、機械及び毛織布は、それらにわずか二倍の労働量が投ぜられているに過ぎないにもかかわらず、穀物の価値の二倍以上であった。第二の場合においては、一方の貨物はその生産により以上の労働が用いられていないにもかかわらず、他方よりも価値がより多い。この価値の相違は、双方の場合において、利潤が資本として蓄積されるのによるのであり、そして単に、利潤が留保された時間に対する正当な報償に過ぎないものである。
しからば、異る事業に用いられる資本が、固定資本と流動資本との種々な割合に分たれることは、労働がほとんどもっぱら生産に使用される際に普遍的に適用される所の法則、すなわち貨物は、その生産に投ぜられる労働の分量の増減がなければ、決して価値において変動しない、という法則に、かなりの修正を齎すように思われる。それは本節において、労働の分量に何らの変動なくとも、単にその価値の騰貴は、それらの生産に固定資本が用いられる所の財貨の交換価値の下落を惹起すであろうし、固定資本の量が多ければ多いほど、下落は大である、ということが示されているからである。
コメント(0)| Track back(0) | 2005-10-22 15:44:22